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傘寿誕生日   

久しぶりの書き込みである。

大寒の日、傘寿となる。
昭和9年に生まれ、戦中戦後を生きてきた。

80は大きな坂。しかも下り坂だ。
後の坂はたぶん2年刻みの小さい坂だろう。
後いくつの坂を乗り切っていけるだろうか?

大寒や戦中戦後を生きて来し

傘寿誕生日_c0020026_2015346.jpg

# by open1934 | 2014-01-20 20:14 | 日常生活

今回も「歩く」   

☆ 久しぶりの散歩 - 2013/10/26(Sat)

起床7時。
朝、体重を測る習慣ができた。今朝は69.2kgだった。

朝のルーチンワークを終え、明徳が今治西にビッグインニングを与えたところで高校野球中継を見るのをやめ、10時過ぎから久しぶりにウオーキングに出かけた。
55号線を東上し小学校の交差点で左折する。いわゆる「千福」コースである。携帯カメラでオクラなどを撮りながらゆっくり歩く。やはり左膝が痛む。和風喫茶「千福」でコーヒーを飲み、帰路につく。「田野駅屋」で豆腐などを買う。

家内が「スーパーに行きたい」というので連れて行く。ポイント10倍セールである。コメ、牛乳などを買って帰る。

昼食後、しばらくテレビを見ていたが、2階へ上がった。
携帯カメラで撮った画像の処理をする。
SNSに撮った画像を投稿し、Facebookの記事にレスを付け、ネット・サーフもやった。
このあとも今日はネット中心の生活になるだろおう。
SNSに日記を書き、画像を添える。

ヘリコプターが飛んでいるので撮りに行ったが、うまく撮れなかった。ファインダーがないと不便である。

# by open1934 | 2013-10-26 14:28

歩く   

              歩く
                            ほうかく
                   
変形性膝関節症 なのだ もう数年になる
整形病院に行ってはいたが はかばかしくはない
やはり
上肢の筋肉をつけるより 仕方がない とか

そこで 歩く
膝の痛みをこらえて 歩く
同じ道を歩く 別の道を歩く
無心に歩く ぼんやり歩く
これからのことを考えながら歩く 昔のことを思い出しながら歩く

今歩いているのは 以前は高校への通学路だった
その頃は 田んぼの中を走る森林軌道だったよ
今は やはり田んぼの中だが舗装されて県道何号線?

小さな新設高校だった 同級生は五十数人
半数は鬼籍に入ったか! 考えてみれば来年は八十歳だよ!
「八十までもとは 思わんかったな!」と 近所の同級生が言う
「そうやな 以前ならよぼよぼ爺さんじゃ」と 私は答える

いろいろな道を歩いてきたな
曲がり角をうまく曲がってきたかな?
二つの道の辛い方を選んで来たかな?
そのときどき一生懸命に生きた なんて嘘だよね
かなりの手抜きをした方が多かったのじゃないかな

退職してからだって そうだよね
テンションとリラックス 緊張と弛緩 交互に繰り返した二十年

それでも 歩く
膝の痛みをこらえて 歩く
同じ道を歩く 別の道を歩く
無心に歩く ぼんやり歩く
これからのことを考えながら歩く 昔のことを思い出しながら歩く

# by open1934 | 2013-10-19 16:41

我が家の「リケジョ」   

         我が家の「リケジョ」
            ー  「祖父バカ」の復活 ー

  上の孫娘が今春一浪して東大・理Ⅰに合格した。
早いものでわんぱくだった保育園時代は「お祖父のチン○」と言って叱られ、小中高の運動会では紅白リレー選手として出場し私たち夫婦を大いに楽しませてくれた孫娘が一九歳になり、これからの四年間「リケジョ」として研究職を目指す。

 高2の頃から「大学は東大、」と決めていて、誰に聞いたのか「普通に勉強していたら通るんやって!」などと暢気なものだった。クラブ活動もバドミントンを続け、いちおうチームのメンバーにも入っていた。
 昨年現役で受験したのだったが、センター試験は86%だったとかだが、二次試験を重視する東大では力及ばず、慶応・経済学部にはなんとか通っていたが、そうとう迷った結果、一浪して東大を目指すことにした。
 この一年間、女性では初めてという塾での学習グループの班長を務め、「普通の勉強」どころか一日13時間のハードな受験学習を続けながらも、けっこう浪人生活を楽しんでいたようだった。
 今年はセンター試験も92%だったとかで、ICUにも合格した。通っている塾からは彼女を含め4名が東大に合格した。

 4月1日からオリエンテーションが始まるので、3月30日の夜行バスで上京した。
 すぐに礼状が来た。いつもはメール連絡だったので、書状をもらうのは初めてだった。
 これには前段があって、本人が母親と合格発表を見に行った時に赤門前で撮った写真にお礼挨拶の文言をつけて「お祝いをもらった人には必ず挨拶状を出すように」とハガキに印刷して10枚ばかり渡してあったのである。要らぬ祖父さんのお節介である。

「 お祝い有難うございました。
29日のお祖父ちゃんの料理おいしかったです。
その日の夕方に見たTVの内容を心に留めて、自分はなんのために勉強するかを考え、目標を定め、勉強第一に成長できるよう日々精進したいと思っております。
 二人とも健康にはくれぐれもご留意ください。
       住所       署名 」

 何もしてやれなかったので、「お祖父ちゃんの手料理を楽しむ会」をやった。日頃鍛えた主夫業の技をご披露申したわけだ。残念ながら当日妹と母親は諸用で参加できなかったが、本人は自分でもサラダを作って持ってきていた。
 私が作ったのは、猪肉の肉じゃが、魚のすり身のさつま揚げ、ポテトサラダ、野菜のかき揚げなど だったが、いずれも喜んで食べてくれた。
「夕方見たTV」というのは、たまたまその前夜にNHKで放映していた「近未来・東大生激論」という番組である。東大生、ソウル大学生、インド工科大学生各3名が、大学生活や授業への取り組み、学習の目的、将来の希望について語り合う。韓国やインドの学生たちはギラギラしたような将来への目的を持って学習している。一方、東大生などはやはりモラトリアム感覚が強い。「入学したらこの人たちに会うかもね」と言いながら録画を見ていた。これも祖父さんのお節介だったが、本人は何か考えることがあったと見える。
 興味津々、東大教養英語のテキストをアマゾンに注文した。教養英語ならなんとかなりそうに思ったからである。EXWordを片手に訳読する。いろんな分野の専門家の論文を切り取った内容で、構文も難解なら専門用語も実に多いのである。レッスンごとに分野が変わるから、当然別の専門用語が出てくる。同じ単語をまた調べたりしている。さてさて、いつまで続くことやら、、?

 入学式は4月12日(金)武道館で行われた。入学式には家族二名の参加枠があるのだが、父親である長男だけが参加した。祖父さんがしゃしゃり出ることもなかろう。新入生だけで3100名、広い武道館がいっぱいだ。写真を見ると、孫娘は最前列,演壇左手に座っていた。武道館の門を通るスーツ姿も初々しい。友人との記念写真もはじけている。親元離れて生活するのは全く初めてで、環境が全く違う東京でちゃんとやっていけるだろうかと少し不安はあるが、どんな成長を見せてくれるのかもまた楽しみである。

 入学式に行けなかった代りに、十一月下旬の「駒場祭」にはぜひ参加しようと思った。学園祭ならまあ常識の範囲内だろう。十月初旬早々とホテルや航空券を予約したことである。駒場祭の詳細日程はまだ未定である。

(以前書き込んだものを補筆訂正して採録しました。)

# by open1934 | 2013-10-13 21:28 | 日常生活

退職二十年の日々   

「退職したら本当に空が青く見えるぞ」と先輩のだれかが言っていた。町会議員への出馬要請を断り、家内とオーストラリアの旅に出かけた。ゴールドコーストの空と海はまさに紺碧のブルーだった。
 あれから二十年、来年は八十歳になる。平均寿命も超えた。「好奇高齢者」と名乗って毎日を読書とインターネットに明け暮れているが、この二十年間に自分は一体何をやってきたのだろうかと思うことがある。
 退職生活は、英検実施委員(安芸会場)から始まった。日本語教師(奈半利町企業外国人研修生に)、英会話講師(高知市で)、「外国青年招致事業」担当者(田野町地教委)、保護司(安芸保護区)、町内地区会副会長、納税組合地区長、浄土真宗大谷派末寺総代、教職員友の会支部長.事務局長(安芸支部)、退職互助会世話人(田野町)等々、、まずはこんなものかな?現在では殆どを整理し末寺総代だけになっている。海外旅行をもう少しやりたかったなあと思う。
 ほかの人たちがあまり経験しないような体験もあった。国際保護司研修会(平成十年五月)に参加し外国の刑務官や保護司などと交流できた。東本願寺の住職修習(平成十三年三月)では帰敬式を受け法名を頂いた。生きがい支援アドバイザー養成セミナー(平成二十一年十月)にも参加したが、学習内容をその後活かせなかった。保護司歴十六年で法務大臣表彰を受け式典(平成二十二年十月)に参加した。表彰してくれた民主党の大臣は失言ですぐ職を失った。
 退職後始めたインターネットの思い出も多い。まずEメールの速さと有用性に驚いた。来日する外国青年との連絡が非常に迅速にできたのだ。メイリングリストによる見知らぬ人たちとの交流、それらで知り合ったネット友達とのオフラインミーティング(ロンドン在住の日本人も帰国の際にわざわざ田野まで立ち寄ってくれた。何度か上京した時も歓迎会を開いてくれ、また会食もともに出来た。四国遍路に来た幾人かのメールフレンドとも度々会食した。)は楽しかった。現在では、ブログもやっているが、ソーシャルネットワーキングサービス(「ミクシー」や「趣味人倶楽部」)、スカイプ、フェイスブック、ツイッターなどでほとんど毎日のように誰かと交流している。
 晴耕雨読じゃないけれど、読書にもずいぶん時間が取れた。英語関係書、サイエンスフィクション、推理小説、分野を選ばず読みまくった。気分転換には中老年男性が活躍する小説を読むのが最高だ。
 ☆ 那須正幹「ズッコケ中年3人組」(2005年~2012年)シリーズ8巻、 それ以前にも「ズッコケ3人組」(1978年刊)がある。
 ☆ 筒井康隆「私のグランパ」(1999年刊)菅原文太石原さとみ主演で映画化されている。
 ☆ 重松清「定年ゴジラ」(1998年)(2001年、続編となる「帰ってきた定年ゴジラ」を追加収録し、文庫に)
 ☆ 竹内真「じいさん武勇伝」(2002年)他書と比べてちょっと落ちるが、、。
 ☆ 有川浩「3匹のおっさん」(2009年)「3匹のおっさんふたたび」2012年)
 ☆ 浅田次郎「ハッピ!リタイアメント」(2009年)
 ☆ 最近読んで印象に残っている小説は、水谷豊と伊藤蘭主演で映画化された妹尾河童「少年H上巻」(1997年)「少年H下巻」(1997年)である。
 そろそろ「就活」(これを取り上げた浅井リョウ「何者」も面白かった。)ならぬ「終活」を考えなければならない年齢である。さて、遺言をどうするか、終焉までの日々を何年計画にしたらいいのだろうか?いろいろと考えなければならないことは多い。しかし今後共「好奇高齢者」であり続けたいとは思っている。
 
(*^▽^*)ノイイヨネ!

# by open1934 | 2013-10-11 15:56 | 日常生活